山田 裕太
- 資格
- 鍼師・灸師・按摩・マッサージ・指圧師
- 趣味
- 筋トレ・健康な身体作り
子供のころは…
私は幼稚園のころから小・中・高校と長年水泳をやっており、中学・高校生の時には大阪府下の大会で3位入賞するなど、数多くの大会にも出場してきました。
子供のころからいろんなスポーツをするのが好きで、日々体を動かし続けていました。
幸いなことに、私はスポーツで体を痛めたり怪我をすることも無く、腰痛や肩こりも感じることが無かったため、治療というものを受けたことがありませんでした。
なので、まさか自分が治療家になるなんて思いもしていませんでした。
治療家になろうと思ったきっかけ
高校を卒業し、社会人として会社に勤めていました。
そのころに祖母の体調が悪くなり、病院通い・入退院を繰り返すようになりました。
祖母の病気はパーキンソン病というもので体に不自由な事が起きたりして怪我や骨折することもありました。
次第に病状は悪くなっていき、うつ病にもなってしまったのですが、その時の僕は病気のことや体のことが全然わかっていなかったので、ただただ見守ることしか出来ませんでした…
祖母の体はどんどん弱っていき亡くなってしまいました…
その時にすごい悔しさと悲しみを感じました。
その時の悔しさが僕の中でずっと頭に残っていました。
それから母も両股関節の手術をし体を動かすのが少し不自由になり、調子が悪いところがどんどん増え、毎日痛いやしんどいなどをよく口にするようになりました。
その時に祖母のときに受けた悔しさを思い出し、母がこのまま弱っていくのをただただ見てるだけではいけないと思い、自分が母を助ける力になり、または身内や親戚 自分の手の届く範囲の人は全力で助けてやろうと決心しました。
治療家になるまで
治療家になるにはまず勉強をして国家資格を取らなければなりませんでした。
なので母のかかりつけの のぎ整骨院 の院長の野木先生に相談をし、まずは専門学校に行くことをすすめられ、資格を取るために学校に入ることにしました。
高校を卒業してからまったく勉強などをしてこなかったため、学校に入ってからはノートのとり方、暗記の仕方 つまり勉強の仕方がほとんど忘れてしまっていたので、最初は四苦八苦で授業についていくのがやっとでした…
ですが、やはり自分から進んで選んだ道だったので次第に勉強が楽しくなり、知識が増えることに喜びを覚え、最終的には卒業の時に優等生として表彰状までいただきました。
在学中も整形外科のリハビリ科で2年間お仕事をさせて頂き、病院の現場での勉強や、実際に人に触れてのお仕事と非常に貴重な経験をさせて頂きました。
無事に国家試験にも1回で合格することができ、治療家としての人生が始まりました。
現在
資格を取った後すぐに野木先生のところで修行をさせていただくことになりました。
のぎ整骨院では体の根本からの治療で、一人一人にあった治療を提供している、僕の理想の整骨院だったので野木先生のもとで勉強出来るのはとても喜ばしいことでした。
自分が専門学校の在学中の時から、のぎ整骨院で行われる勉強会にも参加させていただき、まだ学生でほとんど何もわからないうちから快く指導していただいていました。
おかげさまで今では治療家として患者様に自信を持って治療を提供することが出来る様になりました。
ですが、まだまだ勉強することがあるので、毎月いろいろな勉強会に参加し、知識と技術を積み上げて治療の可能性を広げていくことを日々考え、一人でも多くの人を助けれるように修行中であります。
お電話ありがとうございます、
のぎ整骨院でございます。